ビジネスパーソンのキャリア戦略において、もはや常識となった「リスキリング」。多くの人が、社内でのキャリアアップや、変化する業務に適応するためのスキルアップとして、その重要性を認識しています。
しかし今、その一歩先を行く、新たな人材開発・キャリア支援の形として「アウトスキリング(Outskilling)」という概念が、世界で注目され始めていることをご存知でしょうか。
「会社が、社員の転職を支援する…?」
一見すると矛盾しているように聞こえるこの取り組みは、従来の「リストラ」や「再就職支援」とは全く異なる、個人と企業の双方にとってメリットのある、極めて戦略的な選択肢です。
この記事では、まだ日本では馴染みの薄い「アウトスキリング」とは何かを、リスキリングとの比較を通じて徹底的に解説します。なぜ企業が社員の社外への挑戦を後押しするのか、その背景にあるメリットと、私たち個人にとっての価値を探っていきます。
【徹底比較】リスキリングとアウトスキリング、その目的と方向性の違い
まず、この二つの言葉が、それぞれどのような目的を持ち、どちらの方向を向いたスキル投資なのかを明確に区別することから始めましょう。この違いを理解することが、新しいキャリア支援の形を捉える鍵となります。
リスキリング (Reskilling):社内での活躍を目的とした「内向き」のスキル投資
これまでも繰り返し解説してきた通り、リスキリングの主な目的は、従業員に新しいスキルを習得してもらい、社内の別の職務や、変化した現在の職務で、引き続き活躍してもらうことです。
- 目的:
- DX(デジタルトランスフォーメーション)推進に伴う、社内のスキルギャップの解消。
- 事業転換に伴い、既存の従業員を新たな成長分野の部署へ異動させる。
- 優秀な人材の流出を防ぎ、定着率(リテンション)を高める。
- 方向性:
- スキル投資のベクトルは、明確に「企業の内側」を向いています。
- 投資したコストは、その社員が社内で発揮するパフォーマンスによって回収されることが期待されます。
- ゴール:
- 従業員の社内での新たな役割への適応、および生産性の向上。
例えば、店舗販売員がWebマーケティングのスキルを学び、自社のECサイト運営部門へ異動するケースが、典型的なリスキリングです。
アウトスキリング (Outskilling):社外への円滑な移行を目的とした「外向き」のスキル投資
一方、アウトスキリングは、企業が従業員に対し、社外の労働市場で需要の高いスキルを習得させ、他社への円滑な転職・再就職を支援することを指します。
- 目的:
- 事業構造の転換などにより、社内にもはや活躍の場がなくなってしまう従業員の、市場価値を高める。
- 従業員の自律的なキャリア形成を尊重し、ポジティブな形で、次のステップへと送り出す。
- 方向性:
- スキル投資のベクトルは、企業の「外側」、つまり外部の労働市場を向いています。
- 投資したコストは、直接的なリターンではなく、後述する企業ブランドの向上など、間接的な価値として回収されます。
- ゴール:
- 従業員が、より良い条件や、より将来性のある分野へ、円満に転職を成功させること。
例えば、自動化によって仕事がなくなる工場の従業員に対し、会社が費用を負担して、今後需要が見込まれるITサポートやデータ分析の専門スキルを学んでもらい、その分野の企業への転職を後押しする、といったケースがアウトスキリングです。
「再就職支援(アウトプレースメント)」との決定的な違い
「それって、従来の再就職支援と同じでは?」と思うかもしれませんが、両者には決定的な違いがあります。
従来の再就職支援(アウトプレースメント)は、多くの場合、職を失った従業員に対して、履歴書の書き方指導や面接トレーニングといった「転職活動のノウハウ」を提供することが中心でした。これは、今あるスキルで、いかに次の職を見つけるか、という視点です。
それに対し、アウトスキリングは、「新しいスキルの習得」そのものに焦点を当てます。単に次の仕事を見つけるだけでなく、リスキリングを通じて従業員の市場価値そのものを根本的に高め、より質の高いキャリアアップを実現させることを目指します。これは、過去のキャリアの清算ではなく、未来のキャリアへの積極的な投資であり、より前向きで、付加価値の高い支援と言えるでしょう。
なぜ企業は、あえて「社員の転職」を支援するのか?アウトスキリングの企業メリット
社員にスキルを授けて、社外へ送り出す。そんな「損なこと」を、なぜ企業は行うのでしょうか。実は、この一見不思議な取り組みには、長期的な視点に立った、企業側のしたたかな戦略とメリットが存在するのです。
企業ブランドとエンプロイヤー・ブランディングの向上
「あの会社は、辞める社員にまで投資してくれるらしい」
このような評判は、その企業が「従業員を大切にする会社」であることの何よりの証拠となります。特にSNS時代において、企業の評判は、現役社員だけでなく、元社員の口コミによっても大きく左右されます。
アウトスキリングによって従業員を丁重に送り出す企業文化は、社外に対して強力なポジティブ・メッセージとなり、企業のブランドイメージを向上させます。さらに、「働く場所としての企業の魅力」であるエンプロイヤー・ブランディングにも直結し、結果として、新たに優秀な人材を採用する際の大きな魅力となるのです。
残留する社員のエンゲージメント維持と安心感の醸成
事業再編やリストラは、去る者だけでなく、会社に残る社員の心にも大きな不安と動揺を与えます。「次は自分かもしれない」という恐怖は、仕事へのモチベーションや会社への信頼を著しく低下させます。
しかし、会社が、去らなければならない同僚に対して、アウトスキリングという手厚い支援を提供している姿を見れば、残留する社員の受け止め方は大きく変わります。「この会社は、万が一の時でも、社員を見捨てずに最後まで面倒を見てくれる」という安心感が生まれ、会社へのエンゲージメントが維持されやすくなるのです。これは、組織の士気を保ち、生産性の低下を防ぐ上で非常に重要な効果です。
円滑な事業構造の転換と、卒業生とのネットワーク構築
アウトスキリングは、企業が時代の変化に合わせて事業構造を転換(ピボット)する際の「痛み」を和らげ、プロセスを円滑にします。対立的な解雇ではなく、双方合意の上での円満な移行は、法的なリスクや紛争を回避することにも繋がります。
さらに、アウトスキリングを通じて良好な関係を保ったまま会社を去った「卒業生」たちは、将来、貴重な財産となる可能性があります。彼らが新しい業界で活躍すれば、将来のビジネスパートナーや、優良な顧客、あるいは数年後にさらにスキルを磨いて戻ってくる「ブーメラン社員」になるかもしれないのです。アウトスキリングは、価値ある社外ネットワークを構築するための、長期的な布石とも言えます。
【事例】Amazonの「Career Choice」プログラム
アウトスキリングの最も有名な成功事例が、Amazonが提供する「Career Choice」プログラムです。
このプログラムでは、Amazonの倉庫などで働く従業員に対し、たとえそのキャリアがAmazonの社外のものであっても、需要の高い分野(IT、医療、運輸など)の教育費用の大半を、会社が前払いで負担します。
Amazonは、「従業員が個人のキャリア目標を追求することを応援したい」と公言しており、この先進的な取り組みは、同社のエンプロイヤー・ブランドを世界的に高めることに大きく貢献しています。
個人にとってのアウトスキリング:キャリアの踊り場を「ジャンプ台」に変える
では、私たち働く個人にとって、アウトスキリングはどのような価値を持つのでしょうか。それは、キャリアの転機を、不安な「踊り場」から、より高く飛躍するための「ジャンプ台」へと変える、画期的な選択肢です。
経済的な不安なく、次のキャリアへの準備ができる
個人にとって最大のメリットは、在職中で、安定した収入を得ながら、しかも会社の費用負担で、次のキャリアに必要なスキルを学べる点です。
通常、キャリアチェンジのためのリスキリングには、多額の自己資金と、学習時間の確保という大きな負担が伴います。しかし、アウトスキリングの機会を得られれば、この経済的なリスクと不安から完全に解放されます。安心して学習に集中できる環境は、スキルアップの質とスピードを格段に向上させてくれるでしょう。
市場価値の高いスキルを習得し、より良い条件での転職を目指せる
アウトスキリングのプログラムは、当然ながら、外部の労働市場で需要の高いスキルが中心となります。例えば、斜陽産業の事務職から、成長著しいSaaS企業のWebマーケティング職へ、といったキャリアシフトも夢ではありません。
これにより、あなたは、単に次の仕事を見つけるだけでなく、より高い給与、より良い労働条件、より将来性のある業界へとキャリアアップを伴う転職を実現できる可能性が大きく開かれます。
ポジティブな形で、円満にキャリアチェンジを実現できる
会社の都合による退職は、しばしば「望まない別れ」として、ネガティブな感情を伴います。しかし、アウトスキリングは、その別れを「会社からの応援を受けて、新しい未来へ挑戦する」という、極めてポジティブな門出へと変えてくれます。
会社への感謝の気持ちを持ちながら、円満な関係を保ったまま、次のステージへと進むことができる。この心理的な充足感は、新しいキャリアを自信を持ってスタートさせる上で、非常に大きな意味を持ちます。
まとめ:リスキリングの先に現れた、新しいキャリア支援の地平
本記事では、リスキリングとの比較を通じて、新しいキャリア支援の形であるアウトスキリングの本質と、その価値を解説してきました。
リスキリングとアウトスキリングの要点
- リスキリング: 社内での活躍を目的とした「内向き」のスキル投資。
- アウトスキリング: 社外への円滑な移行を目的とした「外向き」のスキル投資。
- 企業のメリット: 企業ブランドの向上、社員のエンゲージメント維持、円滑な事業転換。
- 個人のメリット: 経済的リスクなく、市場価値の高いスキルを習得し、ポジティブなキャリアアップ転職が実現できる。
アウトスキリングは、企業が従業員を「所有物」としてではなく、社会全体の財産である「資本」として捉え、そのキャリア全体に責任を持とうとする、新しい時代の思想の表れです。
まだ日本では広く普及しているとは言えないかもしれませんが、人材の流動化がさらに進む未来において、このような「別れ方」の選択肢は、間違いなく重要性を増していくでしょう。
私たち個人も、来るべきキャリアの転機に備え、リスキリングはもちろんのこと、アウトスキリングという新しい支援の形が存在することを、知識として知っておくことが重要です。会社の変化を、キャリアを終える「危機」ではなく、新たなスキルを得て飛躍する「好機」と捉える。その視点が、これからの時代のキャリア戦略には不可欠なのです。