成功事例:58歳元部長がリスキリングでITコンサルタントに転身した物語

「役職定年」の先に、道はあるのか?ある58歳、田中さんの挑戦

田中健司さん(58歳)は、中堅メーカーの営業企画部長として、30年以上、会社に人生を捧げてきた。部下からの信頼も厚く、数々のプロジェクトを成功に導いてきた自負もある。しかし、彼の心の中には、年々大きくなる、漠然とした焦りと不安が渦巻いていた。

「役職定年まで、あと2年」

その先には、給与が下がり、権限も失われ、第一線から退く未来が待っている。長年走り続けてきたレールの終着駅が、すぐそこに見えている。一方で、社内では「DX推進」「SFA導入」といった、聞き慣れない横文字が飛び交い、20代の若手社員たちが、自分には理解できないツールを駆使して、軽やかに成果を上げていく。

「俺が必死で培ってきた、この経験や勘は、もう時代遅れなのか…?」

そんな焦燥感に駆られる日々の中、田中さんの目に、ある言葉が飛び込んできた。
リスキリング」──。
それは、新しいスキルを学び、キャリアを再構築するという、彼の心をざわつかせる、希望とも、無謀な挑戦とも思える言葉だった。

これは、特別な誰かの物語ではない。人生100年時代を迎え、多くの50代が直面するであろう、キャリアの岐路に立った一人の男が、いかにして不安を希望に変え、自らの経験を「最強の武器」として再生させたか、そのリアルな軌跡を追った物語である。


【第一章:転機】「お前の経験は、もう古い」- 突きつけられた現実と、最初の小さな一歩

田中さんの日常は、緩やかな「疎外感」と共にあった。営業会議で若手社員が提示する、Googleアナリティクスのグラフや、CRM(顧客関係管理)ツールから抽出されたデータ。そこに示されている数字の意味を、彼は、もはや直感的に理解することができなかった。「さすがだな」と笑顔で頷きながらも、心の中では冷や汗が流れる。長年の経験と勘で語る自分の言葉が、データという客観的な事実の前で、色褪せていくのを感じていた。

変化の波に取り残される「ベテラン」の焦燥感

決定的な出来事は、ある重要な役員会議で起こった。田中さんが、長年の経験に基づいた、自信のある市場予測と販売戦略をプレゼンした後のことだ。新任の30代の役員から、こう問われた。

「田中部長、その戦略の根拠となるデータは、どこにありますか?例えば、Webサイトからのリード獲得数や、競合のオンライン広告の出稿状況などは、どう分析されていますか?」

彼は、言葉に詰まった。答えられなかった。その瞬間、田中さんは、自分が時代の大きな変化の波から、完全に取り残されているという事実を、痛いほど突きつけられたのだ。会議室からの帰り道、「お前の経験は、もう古い」という、誰かの声が、頭の中で響いていた。

「リスキリング」という言葉との出会い

その夜、田中さんは、これまで避けてきた「50代 キャリアチェンジ」「セカンドキャリア」といった言葉を、震える手で検索した。そこに、何度も現れる「リスキリング」という言葉。最初は「今さら自分にできるわけがない」と、自嘲気味に画面を閉じた。

しかし、眠れぬ夜を過ごす中で、彼の心に、別の感情が芽生え始めた。「このまま、何もせずに、ただ時代に置いていかれるのを待つのか?」「いや、まだだ。まだ、何かできることがあるんじゃないか」。不安とプライドが入り混じった、複雑な感情だった。それは、彼の30年以上にわたるビジネスパーソンとしての人生が、決してここで終わりではない、という、最後の抵抗にも似た叫びだった。

勇気を出して叩いた、ハローワークの扉

数日後、田中さんは、生まれて初めて、スーツではなく、私服で、地元のハローワークの扉を叩いた。失業者が行く場所、という古いイメージがあったが、今の自分には、藁にもすがる思いだった。そこで彼は、キャリアコンサルティングという、無料の相談サービスがあることを知る。

ベテランのコンサルタントは、彼の話をじっくりと聞いた上で、こう言った。
「田中さん、あなたの30年以上の経験は、何物にも代えがたい、素晴らしい資産です。問題は、その資産を、今の時代に合った『言語』で、表現できていないことだけです。その『言語』を学ぶのが、リスキリングなのですよ」

その言葉に、田中さんは、目の前の霧が、少しだけ晴れたような気がした。コンサルタントは続けた。「捨てるのではありません。今の経験に、プラスするのです」と。

公的支援制度という「追い風」の発見

そして、田中さんは、そこで、彼の挑戦を後押しする、強力な「追い風」の存在を知る。厚生労働省が管轄する「教育訓練給付制度」、その中でも、特に手厚い支援が受けられる「専門実践教育訓練給付金」だ。

Webマーケティングのような、専門的なデジタルスキルを学べる民間のスクールの受講料が、最大で70%も国から給付されるという。数十万円という、自己投資としては決して安くない金額が、この制度を使えば、現実的な範囲に収まる。

「国が、我々の世代の学び直しを、応援してくれているのか…」

それは、社会から「もう古い」と烙印を押されたと感じていた彼にとって、大きな勇気となる発見だった。彼は、その足で、給付金対象となっているWebマーケティングスクールの、説明会を予約した。これが、彼の第二のキャリアに向けた、具体的で、力強い、最初の小さな一歩となった。


【第二章:挑戦】デジタルネイティブの海へ。58歳の「学び直し」の日々

数週間後、田中さんは、Webマーケティングスクールの教室のドアを開けた。その瞬間、彼を襲ったのは、強烈な「アウェイ感」だった。教室を見渡せば、自分と同じ世代の人間は、一人もいない。20代、30代の、活気あふれる若者たち。彼らが交わす会話の中には、「KPI」「SEO」「コンバージョン」といった、聞き慣れない言葉が飛び交っている。

「本当に、自分は、この場所でやっていけるのだろうか」
長年、「教える側」であった彼にとって、「教わる側」に、それも自分より遥かに若い世代と共に身を置くことは、想像以上の精神的な負荷を伴うものだった。

「アンラーニング」- 過去の成功体験を、一度捨てる勇気

最初の数週間、田中さんは苦しんだ。授業のスピードは速く、次から次へと出てくる新しいツールの使い方に、頭が追いつかない。プライドが邪魔をして、分からないことを「分かりません」と、素直に聞くことができない。周りの若者たちが、軽々と課題をこなしていく姿を見ては、焦りと劣等感に苛まれた。

転機が訪れたのは、ある日の懇親会だった。20代のクラスメイトの一人が、彼にこう話しかけた。
「田中さんって、元部長さんなんですよね。すごいなあ。僕ら、社会人の常識とか全然知らないんで、色々教えてくださいよ」

その屈託のない言葉に、田中さんはハッとした。自分は、この場所でまで、「元部長」であろうとしていた。過去の成功体験という、重い鎧を、脱ぎ捨てられずにいたのだ。

その日から、彼は変わった。分からないことは、「すみません、ここの意味が分からないので、教えてもらえますか?」と、一番前の席で、誰よりも先に、手を挙げて質問した。グループワークでは、若者たちの柔軟なアイデアに、真剣に耳を傾け、自らは、これまでの経験を活かして、議論の進行役や、まとめ役に徹した。

新しいことを学ぶ(ラーニング)前に、古い価値観やプライドを、意識的に手放す(アンラーニング)。この勇気が、彼を、孤立した「年長者」から、チームに不可欠な「経験豊富なクラスメイト」へと変えていった。

武器の再発見:「営業企画ブログ」の立ち上げ

スクールのカリキュラムの一環で、「自分のポートフォリオとなる、ブログを立ち上げる」という課題が出た。多くのクラスメイトが、流行りのガジェットや、グルメのレビューブログを始める中、田中さんは、講師のアドバイスを受け、自分の「原点」に立ち返ることにした。

彼が立ち上げたブログのタイトルは、「中堅メーカー・元営業企画部長が語る、売上を1.5倍にするための実践的マネジメント術」。

それは、彼が30年以上かけて、現場で培ってきた、泥臭く、しかし、普遍的な、営業戦略や部下育成のノウハウを、体系的に言語化していく試みだった。

学びと実践のサイクル:SEO、コンテンツ制作、そして見えてきた成果

田中さんは、スクールで学んだばかりのSEOの知識を、早速自分のブログで実践した。「営業目標 未達 原因」「部下 育成 悩み」といった、かつての自分がそうであったように、現場の管理職が、本当に検索しそうなキーワードを、徹底的に考え抜いた。

そして、そのキーワードに対する「答え」として、自身の成功体験や、手痛い失敗談を、惜しみなく記事にしていった。それは、彼にとって、自らのキャリアを再確認し、その価値を再発見する、内省的な作業でもあった。

ブログを始めて2ヶ月が過ぎた頃、Googleアナリティクスの画面に、小さな、しかし、確実な変化が現れ始めた。検索エンジンからのアクセスが、1日に数件、入るようになったのだ。そして、ある日、彼の記事に、初めてのコメントがついた。

「田中様の記事を拝見し、目から鱗が落ちました。明日から、早速チームで実践してみます。ありがとうございます」

その短い文章を、彼は、何度も何度も読み返した。自分の経験が、デジタルの世界を通じて、どこかの、顔も知らない誰かの役に立った。その事実は、彼に、新しい世界で生きていくための、何物にも代えがたい、大きな自信を与えてくれた。彼のスキルアップが、初めて「価値」に変わった瞬間だった。


【第三章:飛躍】「経験 × IT」- 唯一無二の価値が生まれた瞬間

半年間のスクール生活を終え、田中さんは、Webマーケティングの基本的なスキルと、自信、そして、ささやかながらも、誇るべきポートフォリオ(自身のブログ)を手に入れた。しかし、本当の戦いは、ここからだった。

卒業、そして見えない「壁」

彼は、いくつかのWebマーケティング会社や、事業会社のWeb担当者のポジションに応募した。しかし、現実は厳しかった。書類選考は通過しても、面接では、若い担当者から、どこか値踏みするような視線を感じる。「58歳、未経験」。その言葉の持つ、重い「壁」が、彼の前に立ちはだかった。

「やはり、遅すぎたのか…」
諦めにも似た感情が、彼の心を支配しかけた、そんなある日のことだった。一本の電話が、彼の運命を大きく動かすことになる。

武器は、自分の「外」ではなく「内」にあった

電話の相手は、前職時代の取引先で、今は独立して、父親が遺した小さな部品メーカーの二代目社長を務めている、10歳年下の、旧知の仲だった。彼は、開口一番、弱々しい声でこう言った。
「田中さん、助けてください。うちの会社、このままじゃ、ジリ貧です…」

話を聞けば、製品の品質には自信があるものの、昔ながらの営業スタイルから脱却できず、新規顧客が全く開拓できていない。若い社員からは「Webをもっと活用すべきだ」と突き上げられるが、自分自身、何から手をつけていいか、さっぱり分からない、という。

田中さんは、その時、自分が進むべき道が、どこにあるのかを、直感的に悟った。自分が戦うべき場所は、Webマーケティングという「未知の業界」ではなく、自分が知り尽くしている「製造業」という、ホームグラウンドなのだ、と。

「ブログ、読ませてもらいましたよ」- 点と点が線になった瞬間

田中さんは、電話口の社長に、スクールで学んだ知識と、自身の営業企画部長としての経験を織り交ぜながら、いくつかの具体的なアドバイスをした。Webサイトの改善点、BtoBのリード獲得のためのコンテンツ戦略、そして、まずは低予算から始めるべきWeb広告の手法。

夢中で話す田中さんに、社長は、感嘆したように、こう言った。
「田中さん、すごいですね…。そんなに詳しくなっているとは。実は、田中さんのブログ、時々、読ませてもらってたんですよ。うちの営業部長にも、読ませています」

その言葉は、田中さんにとって、衝撃だった。自分が、ポートフォリオとして、半ば趣味で書いていたブログが、すでに、ビジネスの世界で、彼の新しい「名刺」として機能していたのだ。スクールで学んだ点と、30年以上のキャリアという点が、一本の、力強い線として繋がった瞬間だった。

「もし、田中さんさえよければ、社員としてではなく、外部のコンサルタントとして、うちの会社のDXを、手伝ってもらえませんか?」

それは、彼が夢見ていた「転職」とは、少し違う形だった。しかし、それは、彼の経験と、新しいスキルが、最も理想的な形で融合し、社会から求められた、最高の瞬間だった。

まとめ:58歳は、キャリアの終わりではなかった。人生の「集大成」の始まりだった

それから、1年。
田中さんは今、「製造業専門のIT・Webマーケティングコンサルタント」として、複数の顧問先を持ち、多忙な、しかし、充実した日々を送っている。

彼の仕事は、単にWebサイトの改善を提案することではない。長年の経験で培った、製造業のビジネスプロセスへの深い理解を基に、経営者の隣に座り、事業全体の課題解決を、ITという武器を使って支援することだ。

若いWebマーケターにはない、経営の「痛み」が分かる。現場の営業マンの「苦労」が分かる。だからこそ、彼の言葉は、経営者にも、現場の社員にも、深く、そして、温かく響く。

彼の成功の要因を、改めて振り返ってみよう。

  • 変化への危機感を、行動に変えたこと。
  • プライドを捨て、謙虚に学ぶ姿勢を持ったこと。
  • 新しいスキルを、自身の「得意領域」と掛け合わせ、独自の価値を創造したこと。
  • そして何より、他者の成功を、自分の成功として喜べる、人間的な魅力を持ち続けていたこと。

田中さんの物語は、50代からのリスキリングが、単なるスキルの習得や、再就職のための活動ではないことを、我々に教えてくれる。それは、これまでの人生で得た、すべての経験、知識、人脈、そして人間力そのものを、一度棚卸しし、現代社会で最も価値ある形へと、再編集(リデザイン)していく、壮大な「自己実現」の旅なのだ。

58歳は、キャリアの終わりではなかった。
それは、彼の人生の「集大成」とも言える、最高の仕事を始めるための、完璧なスタートラインだったのである。

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