生成AIに営業メールの返信案を作ってもらいたい。会議メモを要約したい。売上表を分析したい。便利な場面ほど「この情報を貼り付けて大丈夫か」と迷います。氏名を削除すれば安全なのか、法人契約なら社外秘の資料も使えるのか。実際の判断はそれほど単純ではありません。
結論は、入力可否を「情報の種類」だけで決めないことです。利用目的、情報の機密性と権利、利用するAIサービスの契約・設定、入力者の権限、社内承認、保存・利用条件を組み合わせて判断します。迷う場合は実データを入力せず、架空データや公開情報で代替することから始めましょう。本記事は法的な個別判断を代行せず、会社の規程と担当部署の判断を優先します。
1.入力前に知っておきたい3つの原則
原則1:社内で見られる情報と、外部AIへ送れる情報は違う
未公開の価格、取引先との交渉内容、社員評価、顧客の購買履歴などは、社内で閲覧できても外部サービスへの入力権限があるとは限りません。会社の端末から使っているからといって、情報が会社の管理範囲だけに留まるわけではありません。
原則2:「個人情報でない」ことは入力許可を意味しない
取引先との契約、研究開発資料、販売戦略などは個人情報を含まなくても秘密保持の対象になり得ます。営業秘密については、経済産業省が有用性・秘密管理性・非公知性という要件を示しています。一方で、個人情報を含む場合も具体的な利用目的、契約、管理措置を確認する必要があり、ここで一律の適法・違法を断定できません。
原則3:サービス名だけで安全性を決めない
同じサービスでも個人向けと法人向け、管理者設定、外部連携、入力内容の保存・学習利用条件が異なる場合があります。「学習オフ」と聞いただけで、保存、監査ログ、第三者提供、アクセス制御などの確認が不要になるわけではありません。契約と管理画面を確認しましょう。
個人情報保護委員会の2023年6月2日付注意喚起は、個人情報取扱事業者が個人情報を含む入力を行う際、利用目的の達成に必要な範囲かを確認すること、本人の同意なく個人データを入力して応答結果以外の目的で扱われる場合には法令違反となる可能性があること等を示しています。したがって「学習オフなら何でも入力できる」とは言えません。
2.社内データを3段階で仮分類する
正式な社内規程があれば必ずそちらを優先してください。以下のA/B/Cは、社内で話し合うための例示であり、法律上の分類ではありません。
【A:公開可能】公式サイトに公開済みの製品説明、公開済みの採用情報、プレスリリースなど。AIによる下書き・要約の候補ですが、引用元の権利、第三者の写真や素材、正確性は別途確認します。
【B:社内限定】未公開の業務手順、社内研修資料、部署別の売上速報、一般的な社内会議メモなど。承認済み環境、情報管理者の許可、必要最小限化を確認します。資料によってはCに分類されます。
【C:厳格管理】顧客名簿、採用応募書類、社員の給与・評価・健康情報、パスワード、未発表の経営計画、機密契約書、取引先から預かった秘密資料など。利用者が自己判断で外部AIへ入力しません。必要な場合は法務・人事・情報管理などと専用環境や代替方法を検討します。
判断に迷う場合は一段階厳しく扱います。ファイル名に「社外秘」と書かれていないことは、送信の許可を意味しません。
3.入力前の6ステップ
STEP 1 AIにさせたい目的を一文で書く
「顧客メールを丸ごと貼る」ではなく「納期変更を丁寧に伝える文章の型を作る」と具体化します。目的を狭めると実データが不要になることがあります。
STEP 2 資料の中身を点検する
本文だけでなく、ファイル名、コメント、変更履歴、PDFの付加情報、画像内の文字、表計算の隠しシートを確認します。氏名・連絡先・契約条件・未公開数値・認証情報などが含まれていないか、誰の情報かを洗い出します。
STEP 3 必要最小限に減らす
目的に不要な氏名、住所、電話番号、契約番号、取引条件を削除し、架空の内容に置き換えられるか検討します。ただし氏名を「Aさん」にしただけでは十分とは限りません。部署・日時・職位・珍しい経歴の組み合わせで本人が推定できる可能性があります。
STEP 4 AIサービスの契約・設定を確認する
管理者が許可したサービスか、対象プランは何か、入力データの学習・モデル改善への利用、保存期間、削除、管理者権限、連携アプリ、外部提供や再委託を確認します。経済産業省が2025年2月に公表した「AIの利用・開発に関する契約チェックリスト」は、提供データの利用範囲や契約上のリスクを確認する際の参考になります。
STEP 5 入力権限と承認先を確認する
資料を閲覧できる権限、外部へ送信する権限、AI利用の許可、出力を公開する権限は別です。社内限定・厳格管理の資料は、部門責任者と必要に応じて情報管理・法務・人事に確認します。未承認なら入力せず、架空データによる代替を選びます。
STEP 6 入力後の確認と記録を行う
用途、データ区分、AIサービス・プラン、承認者、判断日などを組織のルールに従って記録します。ログに機密本文を複製して新たな漏えい源を作らないようにします。出力も事実・権利・共有範囲を人が点検します。
4.資料別に考える「入力してよいか」の7例
以下は判断の例であり、どのAIサービスでも同じ結論になるという意味ではありません。
①公開済みの商品説明文:A候補。自社が権利を持つ公開文なら、見出し案や要約の作成に利用しやすい。ただし誤情報・他社素材の転載に注意。
②未公開キャンペーンの価格表:BまたはC候補。公表前の価格戦略は重要情報になり得ます。仮の価格と公開済み情報で文章構成だけ作る。
③部署の月次売上速報:BまたはC候補。具体的な数値を入れる前に権限と環境を確認。まず架空の数字でグラフや分析手順を作る。
④顧客名簿・購買履歴:C候補。利用目的、個人データの取り扱い、契約と安全管理措置を担当者が確認する。現場の自己判断では入力しない。
⑤取引先から受け取った契約書:C候補。氏名がなくても守秘義務や再提供制限があり得ます。一般的な契約条項の論点を架空の文章で相談する。
⑥応募書類・人事評価表:C候補。応募者・社員の情報を含む。目的、アクセス権、評価の公平性、保存先などの確認を優先する。
⑦架空の問い合わせ文・架空の表:代替手段として有効。実在人物や実際の取引を推測できる特徴が混入していないか点検する。
このように、情報区分と同時に「AIへ渡さなくてもできる作業」を書いておくと、現場が止まらずに作業できます。
5.具体例:営業メールを作成する場合
営業担当が顧客からのメール全文を貼り付けたくなる場面を考えます。メールには氏名、連絡先、見積額、個別納期、交渉経緯が含まれているかもしれません。
進め方は、(1)目的を「納期変更の説明文を整える」に限定、(2)実際の顧客名・契約番号・価格・日付を入力しない、(3)架空の条件で文章の型を作る、(4)承認済みの社内環境で担当者が実情報を追記、(5)金額・納期・補償の約束を原資料で確認、の順です。
プロンプト例:
「法人顧客に納期変更を伝えるメールのひな形を作成してください。事情説明、謝罪、代替案、確認依頼の順で、過度な確約を避けてください。社名・日時・金額は[社名][日付][金額]と表示し、具体的な情報を推測して補わないでください。」
これなら実データをAIに渡さなくても、文章構成の支援を受けられます。生成された謝罪文に、事実と異なる補償・確約が含まれていないかを確認します。
6.具体例:社内会議のメモを要約する場合
会議メモには、一般的な進捗だけでなく、未発表の人事・価格・経営判断・取引先発言が混在します。「議事録だからB」と一律に決めず、中身を確認します。
実務手順は、(1)議題と目的を確認、(2)参加者名・取引先名・未公開事項を抽出、(3)録音・文字起こしの取得や利用に関する社内ルールを確認、(4)許可されたAI環境か確認、(5)必要なら機密部分を除いた議題一覧だけを入力、(6)出力された決定事項・担当・期限を原資料と照合、です。
AIが「決定事項」と書いたからといって正式決定とは限りません。決定、保留、単なる意見を区別し、最終的な議事録の確認者を決めましょう。
7.具体例:人事情報を分析する場合
社員の年齢、給与、評価、休職、健康情報などを含む表をAIに直接入力するのは高リスクになり得ます。氏名列を削除しても、人数の少ない部署や珍しい属性の組み合わせから個人が推定されることがあります。
まず「部署別の研修受講率を知りたい」といった目的を具体化し、個人単位の情報が必要かを考えます。十分に粗い集計値で目的を達成できるなら、その方法を検討します。個人データの処理が必要な場合は、人事・法務・情報管理が利用目的、必要性、承認済み環境、アクセス権、保存期間、再識別リスクを確認します。分析結果の共有先も限定してください。
架空の社員データで集計の方法を学ぶことと、実際の人事情報を外部AIで処理することは別の判断です。採用・評価など重大な意思決定をAIの出力だけで確定しないことも重要です。
8.管理者が使えるAIサービス確認シート
次の欄を埋めると、社員が迷ったときの確認先を作れます。
サービス名・対象プラン:____
契約主体と管理責任者:____
許可する業務:____
入力可能な情報区分と条件:____
入力データの学習・モデル改善への利用条件:____
保存期間・削除・エクスポート:____
管理者設定・アクセス権・監査ログ:____
外部アプリ・API・連携先の範囲:____
再委託・外部提供・保存地域の条件:____
インシデント時の停止・連絡手順:____
規約・設定の確認日/次回見直し日:____
承認者:____
「学習に使われない」と確認できても、保存・権限・外部連携などの確認は不要になりません。特定のサービスがどの情報を扱えるかは、製品名だけではなく、その会社の契約と設定によって判断します。
9.入力可否表のひな形
列:資料の種類|利用目的|仮分類|資料管理者|許可AI環境|入力前加工|承認先|出力確認者|判断日
記入例A:公開済み製品紹介|見出し案作成|A|広報|承認済み環境|他社素材を除く|社内規程に従う|広報|確認日
記入例B:営業実績速報|レポート構成|B/C要確認|営業部長|未確定|架空数値で代替|営業部長・情報管理|営業部長|確認日
記入例C:顧客名簿|顧客分析|C|顧客情報管理者|未確定|集計・専用環境を検討|情報管理・法務|担当責任者|確認日
この表に実在の顧客名・社員名・認証情報を書き込まないでください。必要なら資料管理番号で参照し、表そのものが新たな機密情報の集積場所にならないようにします。
10.よくある失敗と対処法
「無料版は全部禁止、法人版なら全部許可」:プラン名だけでなく契約、設定、連携先、情報の権限を確認する。
「名前を消したから匿名」:部署・日時・職位・数値の組み合わせによる再識別を点検する。
「社内業務なので第三者への送信ではない」:外部AIサービスへの送信・保存・利用を契約と法令に照らして担当者が整理する。
「出力を社外に出さないから安全」:入力時のリスクと、出力の正確性・権利・共有範囲は別の問題。
「契約時に確認したから今後も大丈夫」:規約、機能、接続先、保存設定の変更に合わせて定期点検する。
「ログに全文を残せば監査できる」:ログ自体のアクセス権・保存期間・機密性を考える。
「急いでいるので個人判断で入力」:承認ルートが不明なら入力を止め、代替手段を使う。
11.迷ったときの判断フロー
Q1:その資料は公開済みか。
→はい:権利・利用目的・AI環境を確認して次へ。
→いいえ:Q2へ。
Q2:個人情報、契約上の秘密、営業上重要な未公開情報、認証情報を含むか。
→はい/不明:自己判断で入力せず管理者へ相談。架空データで代替できないか検討。
→いいえ:Q3へ。
Q3:その資料区分・用途・AI環境は社内規程で許可されているか。
→はい:必要最小限化、出力確認、記録を実施。
→いいえ/不明:入力しない。承認ルートを確認する。
Q4:実データを渡さなくても目的を達成できるか。
→できる:公開情報、テンプレート、架空データを使う。
→できない:情報管理・法務等が安全な処理環境を確認するまで保留する。
12.今日からできる30分と、1週間の進め方
【今日の30分】
最初の10分:よく使う資料を5種類書き出す(商品説明、議事録、顧客メール、売上表、応募書類など)。
次の10分:A/B/Cの仮分類と管理責任者を記入する。
最後の10分:現在許可されているAIサービスと相談先を記入する。未確認の欄は「入力保留」とする。
【今週の5日間】
1日目:資料管理者・部門責任者が仮分類を確認。
2日目:AIサービスの契約・設定を管理者が確認。
3日目:架空データで営業メールや議事録の作成を試す。
4日目:入力可否表、承認ルート、事故時連絡先を修正。
5日目:社員へ「実データなしでできる作業」「入力前に相談する作業」を具体例付きで共有。
【1か月後】
現場が迷った事例を集め、分類・承認フローを見直します。個人を責めるのではなく、迷いなく安全に業務を進められる仕組みを整えることが目的です。
13.入力前の10項目チェックリスト
□ AIにさせたい目的を1文で説明できる
□ 公開済み・社内限定・厳格管理の仮分類を行った
□ 個人情報・秘密情報・第三者の権利を確認した
□ 入力情報は必要最小限になっている
□ 架空データや公開情報で代替できないか検討した
□ サービス・プラン・設定が会社の許可範囲にある
□ 入力者に外部送信・AI利用の権限がある
□ 必要な承認を得た
□ 出力の事実・権利・共有範囲を人が確認する
□ 記録・相談・事故時連絡の方法が分かる
一つでも不明なら、無理に入力せず相談・代替を選びます。この表は法的義務を網羅するものではなく、現場判断の補助です。
まとめ
生成AIに何を入力できるかは、禁止ワード一覧だけでは決まりません。情報の性質、目的、契約・設定、権限、承認、記録を組み合わせて判断します。公開情報や架空データでできる作業は積極的に試し、未公開の業務資料や第三者の情報は責任者が条件を確認してから扱いましょう。まず今日、普段使う資料5種類の仮分類と相談先を決めてください。
【一次情報・編集用参考文献/2026年10月20日確認】
出典1|個人情報保護委員会「生成AIサービスの利用に関する注意喚起等について」2023年6月2日。個人情報取扱事業者の利用目的、個人データの入力と学習利用に関する注意を原文PDFで確認。
https://www.ppc.go.jp/news/careful_information/230602_AI_utilize_alert/
https://www.ppc.go.jp/files/pdf/230602_alert_generative_AI_service.pdf
出典2|経済産業省「AI事業者ガイドライン(第1.2版)」2026年3月31日公表、4月1日ページ更新。組織的なAIガバナンスの参考資料。
https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/ai_shakai_jisso/20260331_report.html
出典3|経済産業省「AIの利用・開発に関する契約チェックリスト」2025年2月18日公表、2月20日資料更新。
https://www.meti.go.jp/press/2024/02/20250218003/20250218003.html
出典4|経済産業省「営業秘密~営業秘密を守り活用する~」2026年6月22日更新。
https://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/trade-secret.html
出典5|IPA「営業秘密のツボ」第104号、2025年2月19日。
https://www.ipa.go.jp/security/economics/mailmag/20250219.html